斎藤工はバックパッカーの旅行費用ためパリコレでモデルに?

俳優

俳優・斎藤工さんが若い頃にバックパッカーをしていたことが、
TBS番組「日曜日の初耳学」で話されるそうです!
斉藤さんのバックパッカーでの出来事が気になりました!

 

斎藤さんは高校3年の頃に、「深夜特急」に憧れてバックパッカーをしたそうです。
そこから影響を受け香港からローマまで陸地で移動しています。
当時はまだスマフォもなくガラケーの時代。
ネット環境が身近にないため便りの綱は
バックパッカーの人たち(多分)バイブル「地球の歩き方」、
宿であるバックパッカーたちの情報、それに現地の人たちの話だったりします。
それを思うとコミュニケーション能力高っ!
その旅の途中で斎藤さん、なんとフランスのパリコレのオーディションに!

 

斎藤工さんはバックパッカーの旅行費用ためパリコレでモデルのオーディションに参加したのかまとめてみました!

 

 

俳優としての基礎は学校で

小学生時代は「シュタイナー学園」に通っていた斎藤さん。
「シュタイナー学園」は哲学者であるルドルフ・シュタイナーの教育理念
「自由への教育」を目指した学校。

 

毎日水彩画を描いて感性を磨き、
そこで俳優としの基礎を学んだそうです。
「シュタイナー学園」の影響でマクロビオティックを実践しており
中学までは甘いものを食べる習慣がなかったようです。

 

そういや斎藤さん菌活とかに興味があったのは小学校時代の教育があるからかもしれませんね。

 

 

父の勧めでモデルに

斎藤さんのお父さんの仕事は映像制作。
その影響から15歳で映画監督に憧れてそのころには既に
台本を書いていました。

 

しかしお父さんのおすすめはモデル。
その理由は、まずは俳優になった方がよかったため。

映画監督になるなら俳優からなる道を勧められましたが、
当時はモデルから俳優になる人が多かったため、まずはモデルをということで勧められたそうです。

 

今の時代でもモデルから俳優になる人はいるとは思いますが、
昔よりは少なくなったのかもしれません。

 

大沢たかおさんも元モデルの俳優でパリコレに出てました!

 

 

深夜特急に憧れて

高校3年の18歳の頃に沢木耕太郎さんが書いた紀行小説「深夜特急」に憧れ、
香港からローマまで陸地で移動する旅に。

※これは飛行機になっています。

 

この小説はバックパッカーの間でバイブル的な扱いを受けるようになった紀行小説。
ちなみに斎藤さんの旅行工程は深夜特急から来ているようです。

 

全ていったわけではないと思いますが、深夜特急でいった国は
香港、マカオ、、バンコク(タイ)、ペナン(マレーシア)、シンガポール、
カルカッタ(インド)、ブッダガヤ(インド)、カトマンズ(ネパール)、
ベナレス(インド)、デリー(インド)、ペシャワール(パキスタン)、
カブール(アフガニスタン)、テヘラン(イラン)、アンカラ(トルコ)、
イスタンブール(トルコ)、アテネ(ギリシャ)、ローマ(イタリア)、
マルセーユ(フランス)、マドリード(スペイン)、リスボン、サグレス(ポルトガル)
パリ(フランス)、ロンドン(イギリス)
です。

 

斎藤さんは18カ国いったそうで、ローマで旅が終わっていそうなのでロンドンには行ってないと思われます。

 

まだまだ若造の世代であった斎藤さん。
いろんなトラブルに見舞われたそうです。

 

 

バックパッカーでの出来事

タイでゲストハウスに宿泊した時のこと。
そのゲストハウスでは盗難が頻発しており、
チェーンなどで荷物を体に括り付けて盗まれてしまったそうです。
それはおそらく、ゲストハウスのスタッフか長く逗留しているバックパッカーが怪しいのでは。
さらに寺では靴まで盗まれてしまったそうです。
今ではタイも発展していますが、まだバックパッカーが確立される前かもしれません。

 

フランスでの出来事は地下鉄でのトラブル。
なんと突然見ず知らずの男に襲われたのです!
お金もなく、髪も伸ばしぱっなしで当時はまだお母さん似だった斎藤さん。
それで勘違いして襲われて服を破られてしまったそうです。
しかし、男とわかったため無事でよかったです。

フランスは中村江里子さんが文房具もおしゃれではまってしますが、
斎藤さんのような目に遭うこともあるので、気をつけるところは気をつけないといけませんね。

 

しかしフランスでお金がなくなっていた斉藤さん。
旅行費用のためにモデルになったのでしょうか?

 

 

無一文のためパリコレのモデルに?

アジアからバックパッカーを開始し、ヨーロッパに入ったときはすでに無一文になっていた斉藤さん。
お金がないのにヨーロッパを回っていたそうです。
そこでモデル事務所に所属することに。
どの流れでモデル事務所に所属することになったのかはわかりませんが、
お金がないからなのはもちろん、元からモデルでもあったため挑戦してみたい気持ちもあったのかもしれません。

 

オーディションには100個くらいあったので、
プランを練って3日くらいで移動して受けていったそうです。
すごく分刻みのオーディションの受け方ですね。
一日約33個は受ける計算ですね。

 

ちなみに先ほどのフランスでの地下鉄のトラブル。
オーディション前の出来事で、引っ張られて伸びたTシャツのままいったら
なぜかその姿が絶賛。
オーディションに受かったのかはわかりませんが、
パリコレに出演できていたので受かったのかも。

 

一つでもいいことがあってよかったです。

 

 

まとめ

斎藤工さんはバックパッカーで香港からローマまで旅をした時に、ヨーロッパではすでに無一文に。
旅行費用ためパリコレのオーディションを受けまくったのはあったかもしれませんが、
モデルである自分の力も試してみたかったのかもしれません。

 

ここまで読んでいただきありがとうございました!

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