かつて女子プロレスラーとして活躍した北斗晶さん。2023年8月に初孫が誕生、話題になりました。
今回は北斗晶さんの家族構成や経歴について紹介します。
北斗晶の家族構成
北斗晶さんは埼玉県吉川市の農家で生まれました。三姉妹の次女でしたよ。後に男子プロレスラーの佐々木健介さんと結婚、二人の男児を出産されています。北斗晶 息子は一人目が1998年生まれ、二人目が2003年生まれですよ。長男は2022年に結婚しており、そのお相手は女子プロレスラーの凜さんです。長男夫婦の間には2023年8月に第一子となる女の子が誕生、北斗晶さんにとっては初孫が誕生したことになりますね。
北斗晶“初孫の誕生”に喜び 長男妻・凛が8.10に女の子を出産(クランクイン!) – Yahoo!ニュース
北斗晶の経歴
高校を中退してプロレスの世界へ
神田女学園中学校から神田女学園高等学校へ進学した北斗晶さん。しかしプロレスの道へ進むために高校を中退、1985年6月12日に全日本女子プロレスデビューを果たしました。当時のリングネームは本名そのままの「宇野久子」、デビューから連戦連勝で当時のデビューからの連勝記録も保持していましたよ。同年12月の新人王決定トーナメントでは準優勝、年末の女子プロレス大賞では(最優秀)新人賞に輝き、ボーイッシュなルックスから多くの女性ファンも獲得、デビュー年から大人気でしたよ。
首の骨を折る重傷も
1986年3月に全日本ジュニア王座を奪取し、同期で最も早い戴冠も成し遂げた北斗晶さん。しかし1987年、WWWA世界タッグ王座初防衛戦でツームストン・パイルドライバーを受けた際に首の骨を折る重傷を負い、回復するまで数か月間にわたり寝たまま首を動かせない生活を強いられることに。医者からの引退の勧めも蹴り、1988年に復帰を果たした北斗晶さん。「北斗晶」のリングネームを名乗るようになったのも復帰後からのことですよ。
1992年、ヒール転身
1992年からはヒールレスラーへ転身、団体対抗戦時代に神取忍さんと血みどろの抗争を繰り広げ、「デンジャラスクイーン」の異名を取るようになりました。試合後の毒舌マイクパフォーマンスも人気を呼びましたよ。神取さんとの試合の契機となったのは、お互いのプロレス観。格闘技としての強さを重視する神取さんに対し、北斗晶さんは「客を楽しませる事、プロレスを楽しむ事」に拘るタイプだったそうです。
1995年に結婚、2002年に引退
1995年に佐々木健介さんと結婚した北斗晶さん。二人はアントニオ猪木さん主導で、北朝鮮で行われた「スポーツと平和の祭典」で出会ったそうです。1998年に長男を出産、一時期はリングを降りたこともありましたが、1999年には日本初のママレスラーとして試合に臨んでいましたよ。2002年に現役を完全引退、引退直後は主婦業に専念していたものの、後に夫の健介さんを支えるためにマネージャー役としてプロレス界に復帰しました。なお、引退後も「埼玉の主婦の喧嘩」の名目で、全日本プロレスで試合をすることもあったそうです。
鬼嫁キャラとしてバラエティ番組に引っ張りだこ
プロレスラー引退後は、鬼嫁キャラクターとしてバラエティ番組でも活躍するようになりました。とはいえ、「鬼嫁」というイメージはヒールレスラーだったイメージやキャラクターに引っ張られてのものでもあり、夫婦仲はとても良好、現在はおしどり夫婦として好感度も高いですよ。夫の活動を支える「健介office」を2005年に株式会社化し、代表取締役社長として会社を運営、怪我や病気などとも戦いながら、仕事に子育てに奮闘されました。料理も上手で、レシピ本を発売されたこともありますよ。
最後に
今回は北斗晶さんの経歴などについて紹介しました。
「鬼嫁」の義娘となる凜さんには心配する声もありましたが、実際のところ北斗晶さんと凜さんは同業ということもあり、嫁姑関係は非常に良好。自身も本当は娘も欲しかったらしく、息子の嫁と「母娘みたいに一緒にいられる」と喜んでいるようです。