フィギュアスケート選手の高橋大輔さんといえば、
2000年から2010年にかけて活躍した選手です。
華麗な演技をされていたのをテレビで見ていたのを
覚えています。
実は高橋大輔さんは、実は大学時代はボッチ(一人ボッチ)
で貧乏だったのです!
華麗なフィギュアからは想像がつきませんね。
気になりましたのでまとめてみました!
高橋大輔さんのプロフィール
生年月日 1986年3月16日
出身地 岡山県
身長 165cm
・4人姉弟の末っ子。
・名付け親は母が働いていた理髪店の娘。
・関西大学文学部総合人文学科身体運動文化専修を卒業。
・2008年 関西大学大学院文学研究科総合人文学専攻身体文化専修博士前期課程
に進学。
・2015年 修士論文未提出のため中退。
・日本人男子初のオリンピックメダリストで更に
世界選手権、世界ジュニア選手権、グランプリファイナルを制した。
・オリコン「好きなスポーツ選手ランキング」男性部門で、
2010年より5年連続トップテン入りをしている。
・サッカー日本代表MFの青山敏弘さんとは幼馴染である。
実績
・2002年 世界ジュニアフィギュアスケート選手権優勝。
・2005年~2007年、2009年、2011年 全日本選手権通算5回優勝。
・2006年 トリノオリンピック 8位入賞。
・2008年・2011年 四大陸選手権書く優勝。
・2010年 バンクーバーオリンピック銅メダリスト。
・同年 世界選手権優勝。
・2012年 グランプリファイナル優勝。
・2012年、2013年 世界フィギュアスケート国別対抗戦連続2回優勝。
・2014年 ソチオリンピック 6位入賞。
などなど。
日本人・アジア人初の快挙を次々と成し遂げている
日本男子フィギュアスケートの賞獲得の草分け的存在に近いのでは。
右膝前十字靱帯断裂ぼケガで1年間の休養していましが、28歳の時に現役を引退しました。
しかし、2018年32歳で現役復活をしています。
日本男子スケーターの中では最年長。
どこまで、滑り続けてくれるのか楽しみですね。
追記:2019年には全日本選手権を男子シングルとしての競技会出場は最後となりました。
アイスダンスに転向をして2020年にはアメリカに拠点を移し、村元哉中(かな)さんとペアを組んで活躍されています。
シングルとしてはも活躍されていませんが氷上の社交ダンスと言われるアイスダンスに転向した高橋大輔さん。
アメリカでも活躍をし続けているのではないでしょうか。
村元さんとペアを組んで華やかな表現をされているのではないでしょうか。
35歳になり舞台を移して滑り続けている高橋大輔さんに今後の活躍を期待しています!
貧乏だった!?
父親はとび職で母親は理容師。
お母さんは夜12時まで弁当屋の掛け持ちで
高橋大輔さんのスケート代を稼いでいたとのこと。
幼少時、性格的に弱く心配した両親によって
色んなスポーツをやらせたが痛いのと怖いのが嫌で長続きせず
体操は好きだったが通うのが遠いので断念。
そこから始めたのがフィギュアスケートだったとのこと。
大会の衣装はすべて母の手作り。
スケート靴も一足を大事に履き続けた。
父親はスケート靴のエッジ代を浮かせるため
自身で研いでいたりもしていた。
夕食代も1500円台まで切り詰めて
4人兄弟をご両親は養っていた。
本人もお年玉全部スケートにつぎ込んだ。
地元の商店街の人々も有志でカンパしていており、
非常に期待の星であるとともに
ご近所さんたちにも愛されてきた背景がわかりますね。
フィギュアスケートを始めたきっかけは
母が務めていた理容師のお姉さんに好かれることが
きっかけだったみたいです。
どんな些細なきっかけでもここまで来れ
更には貧乏でも家族や商店街の人たちの
支えで大きな大会で賞をとれたのは
すごいことですね。
大学時代はボッチ!?
どうやら大学デビューでエクステや細眉にしたみたいですが
人見知りと地元から離れた大阪だっため友達がおらず、
お昼はトイレはキャンパス外の公園で過ごしたとのこと。
4人兄弟の末っ子。
イメージ的に人見知りになりますね(笑)
大学デビューの言葉になんか親近感を覚えますね笑
まとめ
フィギュアスケート選手の高橋大輔さんは、大会の衣装はすべて母の手作り、スケート靴も一足を大事に履き続け、父親はスケート靴のエッジ代を浮かせるため、父親自身で研いでいたりもして高橋大輔さんのフィギュアスケート代を捻出。
夕食代も1500円台まで切り詰めて4人兄弟をご両親は養っていたという貧乏ぶりだったそうです。
高橋大輔さん自身もお年玉全部スケート代に全て注ぎ込んだほどでした。
ここまで読んでいただきありがとうございました!