宇津木麗華が国籍を中国から帰化したのはなぜ?苗字は恩師から!

スポーツ

東京五輪にて日本女子ソフトボールがアメリカに2-0で勝ち優勝し、金メダルを獲得しました!
北京オリンピックから13年ぶりの優勝でした。
女子ソフトの監督・宇津木麗華さんの胴上げが3回行われました。
実は宇津木監督は中国から日本に帰化しているのです。

 

宇津木麗華が国籍を中国から帰化したのはなぜ?

 

気になりましたのでまとめてみました!

宇津木麗華が国籍を中国から帰化したのはなぜ?

宇津木監督が日本に帰化したのは1995年の32歳の時に日本国籍を取得しました。

 

宇津木監督が帰化したのは中国に遠征してきた当時は現役選手だった宇津木妙子さんと出会ったのがきっかけでした。

 

妙子さんは小さな体をしていましたがパワフルな打球を中国代表の二塁手が“トンネル”した場面は宇津木監督の中に強く記憶として残っているそうです。
憧れをその時に持った模様です。

 

自分の人生の転換とも言える出会いがあるってすごいことですねよ。

帰化するのにお父さんの説得には苦労したようです。

父親は猛反対!

中国代表にも選出されていた宇津木監督。
しかし、憧れを忘れることができませんでした。

 

14歳でソフトをはじめ、妙子さんと出会い10年後に猛反対していたお父さんを説得しました。

 

急に娘が異国の地に帰化するとなればお父さんもびっくりして反対もするのはしょうがないかもしれません。

 

これも妙子さんを慕っていたための行動でした。

このことから苗字の由来は妙子さんからだったようです。

苗字は恩師から!

1998年に日立高崎(現ビックカメラ高崎)でソフトボールの監督を務めていた妙子さんのチームに加わりました。1995年に日本国籍を取得していました。

 

妙子さんを慕っていることから、頼み込み苗字の「宇津木」を名乗らせてもらっているようです。

 

実の両親からももらった名前・任彦麗(にん・えんり)の「麗」の文字も合わせて「宇津木麗華」と日本名で名乗っているそうです。

 

ここまで慕われていた妙子さんもびっくりしたかもしれませんが、自分が指導した選手が苗字を名乗るほどに慕ってくれたのは嬉しかったのはではないでしょうか。

 

実は妙子さん。
今回の東京五輪のソフトボールで解説していたのです。

解説に恩師が!

今回の五輪のソフトボールの解説になんと宇津木監督が慕っている宇津木妙子さんが解説していたのです!

 

本当にソフト漫画にできそうな展開ですよね。
これは妙子さんも宇津木監督(麗華さん)もお互いに胸にくるものがあったのではないでしょうか。

まとめ

宇津木麗華が国籍中国から帰化したのは宇津木妙子さんを慕ったためです。
苗字も妙子さんからもらっています。

 

他にもメダルを獲得している選手が続々です。

 

 

ここまで読んでいただきありがとうございました!

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