サッカーの解説者である早野宏史さん。
早野さんの解説の時に言うダジャレに対してファンである「ハヤニスタ」という呼称があるほど。
きっかけはなんだったのでしょうか。
気になりましたのでまとめてみました!
早野宏史のダジャレのきっかけは?
早野さんが解説の時にダジャレを言うきっかけになったのなんだったのでしょうか?
ハヤニスタたちのファン活動が知りたい方はこちらから→ハヤニスタは早野宏史のダジャレファン!活動や反応や感想を紹介。
それは、
いつの間にか言うようになっていた。
最初はダジャレ入っておらず比喩(例え)を使って解説をされていたそうです。
例えば、
「ぬるま湯に入っているようなプレー」
「寒いときにボールをいきなり蹴ったら、イヌにかじられたような痛さがある」
みたいな言い方だったそうです。
しかし、
語彙(ボギャブラリー)がない。
そこからオリジナリティーがあった方がいいと考え、いつの間にかダジャレになっていたそうです。
もともと、解説者になったのは現場に戻るための勉強という気持ちと、わかりやすくサッカーを伝えて、なんとか広めたいという考えから解説者を始めたようです。
Jリーグを始まった時は、サッカー用語を控えて、誰でもわかるやすいようにと言う決まり事があったようです。
確かに当初は盛り上がりましたが、まだ野球が全盛期に時代。
サッカーのルールが行き渡ってなかったのかもしれません。
しかし最初はNHKはそのダジャレが怖かったようで生放送では使ってくれなかったみたいです笑笑
そこからここまでくるのはすごいですね。
早野宏史プロフィールと経歴
早野さんプロフィール経歴をこちらは紹介します。
ただダジャレを言うだけの人ではないのです笑
出身地 神奈川県
身長 169cm
体重 59kg
中央大学法学部政治学科を卒業。
1978年 のちに横浜F・マリノスの母体となる日産自動車サッカー部に加入する。
現役生活は12年間。
1987年 日産サッカー部の下部組織である日産ファーム(現在のサテライトチーム)、日産ユース、日産FCレディースなどで監督として指導者の下積み生活を送っています。
1992年 Jリーグ開幕。マリノスのコーチに。
1995年 S級ライセンスを取得。
監督に昇格しその年のリーグ戦を制覇。
1996年 結果を残せずシーズン終了後に解任。
退任後はNHK衛星放送のJリーグ中継とWOWOWのヨーロッパサッカー中継で解説を担当。
NHKでは他に『サタデースポーツ』(総合テレビ)のサッカーコメンテーターとしてレギュラー出演しています。
1999年〜2001年の途中まで、ガンバ大阪の監督に就任。
2002年 サッカー解説者としてNHK衛星放送、WOWOWで活動。
2004年7月 柏レイソルが成績不振を理由に前監督を解任したのに伴い新監督として就任。
しかし結果を出せず。
2005年 低迷を続け年間16位で2年連続のJ1・J2入れ替え戦(相手はヴァンフォーレ甲府)に回る。入れ替え戦を連敗したチームはJ2降格、この責任を取って監督を辞任。
2007年 古巣横浜F・マリノスで監督として現場復帰。
好不調の差が大きく現れたシーズンに。
最終的に前年を上回る7位でリーグ戦を終了したが、目標の3位以内に届かなかったため、契約更新されず、天皇杯終了後にコーチの水沼貴史さん、高橋真一郎さん、武藤覚さんらも辞任(事実上の解任)。
2008年 NHKサッカー解説者に。
2019年 ノースアジア大サッカー部(秋田)の総監督として初指導をしているときに、ダジャレは使われませんでした笑
そのことを記者に対し、
コーチングも解説と同じで人に伝える仕事。
わかりやすくするためにたとえ話や比喩、つかみのシャレを使う。
とけ込んでいけば、そういうコミュニケーションも増える」
と語っていることから今までの解説の仕事が監督業でも役に立っており、わかりやすくいえて、コミュニケーションの役にも立っていることが伺えます。
まとめ
サッカーの解説者である早野宏史さん。
早野さんの解説の時に言うダジャレに対してファンである「ハヤニスタ」という呼称があるほど。
きっかけはなんだったのでしょうか。
→いつの間にか言うようになっていた。
最初は比喩で解説しており、ダジャレはいっていませんでしたが、語彙が少ないと言うことでいつの間にか使うようになっていました。
今後もダジャレを言い続け、解説者や監督業で役立てて欲しいですし、ファンたちも期待しています!