アントニオ猪木はイラク在留邦人人質解放にフセインの息子に協力依頼?

日テレ番組「ザ!世界仰天ニュース」にてアントニオ猪木さんについて放送されます。

 

[word_balloon id=”4″ size=”M” position=”L” name_position=”under_avatar” radius=”true” balloon=”talk” balloon_shadow=”true” font_size=”18″]元プロレスラーの人だね![/word_balloon]

 

残念ながらなくなってしまいましたが。

 

猪木さんにプロレスラーのイメージを持っている人もいるかもしれませんが
参議院議員を務めた事がありイラク在留邦人人質解放事件の立役者とも言われてきます。

 

[word_balloon id=”4″ size=”M” position=”L” name_position=”under_avatar” radius=”true” balloon=”talk” balloon_shadow=”true” font_size=”18″]どうやって解放されたんだろう?[/word_balloon]

[word_balloon id=”4″ size=”M” position=”L” name_position=”under_avatar” radius=”true” balloon=”talk” balloon_shadow=”true” font_size=”18″]気になりました。[/word_balloon]

 

アントニオ猪木さんはイラク在留邦人人質解放に
フセインの息子に協力依頼した?
まとめてみました!

 

 

目次

イラク在留邦人人質解放とは?

猪木さんが関わったイラク在留邦人人質解放とは
どのような事件だったのでしょうか?

 

1990年12月イラクがクウェートに侵攻した湾岸危機で、
約4カ月間イラクで人質となっていた日本人36人が解放された事件です。

 

当時イラクのサダム・フセイン大統領は、国連のイラクへの武力行使の圧力に対抗して
在留外国人を国外出国禁止の措置を行い、事実上の人質「人間の盾」です。

 

それをアントニオ猪木さんこと猪木寛至参院議員が独自の体当たり外交を敢行。

 

そのことが功を奏し、人質は解放。
残りの日本人を含む全人質ら6千人も解放されたといたった事件です。

 

[word_balloon id=”4″ size=”M” position=”L” name_position=”under_avatar” radius=”true” balloon=”talk” balloon_shadow=”true” font_size=”18″]猪木さんそういった事をしていたんだ。[/word_balloon]

 

仰天ニュースで放送されたもの

 

 

どうして解放された?

当時伊藤忠商事や日商岩井などといった現地の
日系企業の独自ルートでの交渉をしていたようです。

 

そのルートからイラクの要人と会い交渉をして行ったようです。

その中には当時大統領だったがフセインの息子ウダイもいました。

 

 

フセインの息子が協力?

当時はスポーツ担当の大臣だった猪木さん。
ウダイも同じ担当だったので真面目に話を聞いてくれたそうです。

 

ウダイは当時暴君として有名で父親であるフセインも
手を焼いているといった話でしたが、猪木さん曰くとても紳士だったそうです。

 

2回目の交渉のときは人質の家族写真をみせて子供には父親が必要といった交渉をし、
ウダイの反応をみて悪い人ではないと思ったそうです。

 

そこから人質が解放されたことからウダイも協力したのかもしれません。

 

[word_balloon id=”4″ size=”M” position=”L” name_position=”under_avatar” radius=”true” balloon=”talk” balloon_shadow=”true” font_size=”18″]猪木さん自身は人質解放に協力してくれとは言わずに交渉していったのかもしれません。[/word_balloon]

 

まとめ

アントニオ猪木さんはイラク在留邦人人質解放に
フセインの息子に協力依頼をしたわけではないかもしれませんが、
交渉から協力してくれる気になったのかもしれません。

 

これらをまとめてみました!
ここまで読んでいただきありがとうございます!

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