日テレ番組「ザ!世界仰天ニュース」で日航機ハイジャック事件に
ついて放送されます。

1977年9月28日に、1960年代に広がった学生運動から派生した過激派の一つである
日本赤軍が起こして日航機(ANA)ハイジャック事件。
バングラデシュのダッカで起こったことからダッカ事件とも呼ばれるそうです。
2020年の現在、日本赤軍のリーダー女性で重信房子さんで出所されています。



事件後全員逮捕された?
まとめてみました。
日航機ハイジャック事件
1977(昭和52)年9月28日。
パリ発東京行きの日本航空472便DC8型機が、中継地のインド・ボンベイ空港を
午前10時45分に離陸した直後、日本赤軍を名乗る男5人にハイジャックされた事件です。
犯人たちは乗員・乗客151人を人質に取り、午後2時30分、
バングラデシュのダッカ空港に強行着陸させました。
当時バングラデシュのマームド空軍参謀長が間にはいり、
日本政府に600万ドル(約16億2000万円)の身代金、
さらには当時日本で拘置中の7人の政治犯と2人の一般刑事犯、合計9人の釈放を要求したのです!

もし応じなければ人質は帰らぬ人になるとこをいったそうです。
当時の福田赳夫内閣は、翌日に超法規的措置をとり、犯人の要求を飲むことを決断します。
このときの福田首相の「人の命は地球より重い」
元ネタがわからなくても聞いたこともある人はいるのではないでしょうか。

日本赤軍とは?
大学の授業料の値上げに反対し、1960年代に広がった学生運動から
派生した過激派の一つが日本赤軍です。
主に1970年代に海外でテロを繰り返したことでと知られています。
その後学生運動が下火になります。
世界の社会主義国や発展途上国に拠点を設けて、同時多発的に共産主義革命を起こす
「国際根拠地論」という考え方が生まれ、武装化する過激派がでました。
このグループは「赤軍派」というそうです。

事件後は全員逮捕?
当時の福田首相は要求を全部のみ犯人たちは国外に逃亡しました。
捕まってない犯人もおり、国際手配されてるのは7人います。
リーダーの重信さんも2000年に日本に潜伏してたのを逮捕されています。

しかし刑を終えて2022年5月28日に出所しています。
リーダーの重信房子の出所後は?
逮捕された後の2001年は解散宣言をしている重信さん。
「かつてのあり方を反省し、かつ、日本をより良く変えたいという願いと共に謝罪の思いを、私自身の今日の再出発に据えていく所存です」「社会に戻り、市民の一人として、過去の教訓を胸に微力ながら何か貢献したいという思いはありますが、能力的にも肉体的にも私に出来ることは、ありません」
出典:文春オンライン
と語っています。
年齢も70年代にはいり、一人娘のメイさんよりも年若い記者陣に囲まれた、
時代の流れも感じたのかもしれません。

まとめ
事件後は全員逮捕されずリーダーの重信さんも23年経ってから捕まっています。
出所後は一市民として暮らしていく模様。
これらをまとめました!
ここまで読んでいただきありがとうございました!