東大紛争の原因は?入試中止等その後は?わかりやすく調べてみた!

日テレ番組「超レア映像遺産ショー」にて東大紛争などの衝撃映像が放送されます。

 

[word_balloon id=”4″ size=”M” position=”L” name_position=”under_avatar” radius=”true” balloon=”talk” balloon_shadow=”true” font_size=”18″]東大紛争って何?[/word_balloon]

 

学生運動が起こった時代だというは分かる人も多いと思いますが、
原因等はなんだったのかわからない人も多いのでは。

 

 

東大紛争の原因は?
東大紛争のため入試中止になったその後は?
わかりやすく調べてみました!

 

 

 

目次

東大紛争とは?

大まかに調べてみますと、
1968年から1969年まで続いた
東京大学における大学紛争のことを言います。

 

[word_balloon id=”4″ size=”M” position=”L” name_position=”under_avatar” radius=”true” balloon=”talk” balloon_shadow=”true” font_size=”18″]東大闘争ともいいこちらで知っている人も
いるのでは。[/word_balloon]

たまにテレビでこのことが放送されますが実際何が原因だったのでしょうか?

 

 

東大紛争の原因は?

原因としては多数あるそうです。

 

始まりとしては1960年代後半、
全国の医学部で学部生と研修医が全学連医学協や青医連が始めた
インターン制度廃止を軸とした研修医の待遇改善運動がでてきました。
その活動拠点が東京大学医学部だとか。

 

[word_balloon id=”4″ size=”M” position=”L” name_position=”under_avatar” radius=”true” balloon=”talk” balloon_shadow=”true” font_size=”18″]そこから始まったのかも。[/word_balloon]

ほかには授業料値上げ反対や大学の諸制度を
変えるよう要求していたそうです。

 

もちろんそれもあったと思われますが、
一番の原因は安保闘争ではないかと言われています。

 

 

安保闘争とは?

これは日本とアメリカが結んでいる「日米安全保障条約」の
改定を阻止しようとして行われた運動です。

 

改訂が1960年に行われ、その時の内容が在日米軍が
攻撃を受けた時には日本の自衛隊も協力して
戦わなければならないというものだったのです。

 

そこで拡大解釈でアメリカの戦争に日本も巻き込まれてしまう
可能性があるということで反発を招きました。

 

そこで反対運動がおきました。

 

「安保改定の阻止」の反対とさらには当時の「内閣の倒閣」と
いうのもあったようです。

 

というのも当時の首相岸信介は、
戦前の東條内閣の閣僚でありA級戦犯でもあったのです。
そのため内閣そのものに不満を持っている人も多かったとか。

 

 

安保改訂の阻止には至らなかったそうですが、
内閣の退陣には成功しました。

 

そこから反対運動に広がりをみせました。

 

この反対運動が成功したことによって政治は
自分たちの活動によって変えられるという考えになり
反体運動が広がるきっかけになったようです。

 

[word_balloon id=”4″ size=”M” position=”L” name_position=”under_avatar” radius=”true” balloon=”talk” balloon_shadow=”true” font_size=”18″]さらには大学に対する不満があったんだね。[/word_balloon]

きっかけは安保だったのですが、
東大紛争の原因はインターン制度と言われています。

 

 

直接的な原因はインターン制度

インターン制度は学生が特定の職の経験を積むため労働すること。
インターンは無給。
医師の経験を積むためとはいえ大変な環境で「タダ働き」を
させられたことに東大医学部生が国家試験をボイコットしたことが
東大紛争の原因だったようです。

 

そこから広がり入試試験が1969年に中止になる事態に。

 

 

東大紛争のため入試中止になったその後は?

機動隊によって武装解除された翌年の1969年、
その当時受験生だった人達は浪人を選択、もしくは他の難関大学に方向転換したそうです。
もしくは他の大学に入ったあとに東大を受け直す人もいたとか。

 

このことから東大は入試制度改革をすることに。

 

1971年から5教科の前期試験、通過者に4教科の二次試験を課すという、
現在の「センター試験」導入することになりました。

 

さらに改革で東大一次試験にあたる共通試験を全国の国立大で行う提案がされました。

 

これが「共通一次」のはじめといわれています。
そのため東大紛争が、センター試験や共通一次のルーツなのではとのこと。

 

[word_balloon id=”4″ size=”M” position=”L” name_position=”under_avatar” radius=”true” balloon=”talk” balloon_shadow=”true” font_size=”18″]このことがきっかけで色んな改革がされたんだ。[/word_balloon]

 

 

 

まとめ

東大紛争の原因は安保改定がきっかけで直接的な原因は
インターン制度の反発から起こったようです。
入試中止が起こったその後はセンター試験などが導入されました。

 

これらをまとめてみました。
ここまで読んでいただきありがとうございました!

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